ゲームデザイナーと聞いて、どんな職業かすぐに思いつきますか?ざっくり説明すると、ゲームの企画段階から中心となってゲームの構想を決めて登場人物などをデザイン(設計)していく人のことです。ここでは、ゲーム好きなら一度は憧れる日本のゲームデザイナーについてご紹介します。
総合的なゲームスキルを兼ね備えたゲームデザイナー
ゲームプログラマーやゲームプランナーとも似ていますが、ゲームデザイナーがその他のゲーム専門職と大きく違うのは、各スタッフにビジュアル面やプログラミング面で指示を出していく統括的な役割があるという点です。プランナーは仕様書を作成することに焦点を当てているので、プロジェクトが後半に進むにつれてその影響力は少なくなりますが、デザイナーは最初から最後までテクニカルな部分も含めて総合的に担当しています。ほとんどの人がゲーム会社に所属していますが、フリーランスの人もいます。ゲーム専門学校でゲームデザインを学んだり、デザイン全般を学んでゲーム会社に就職してプランナーなどの仕事を経験してからデザイナーになる人もいます。
独特で革新的な作風が世界でも評価されている須田剛一氏
1998年に設立された株式会社グラスホッパー・マニファクチュアのCEOを務める須田剛一氏は、日本が誇るゲームデザイナー/ディレクター、そしてシナリオライターです。須田氏の経歴を見るだけで、その多才さに驚くほど、現在までに数多くの作品を様々なアングルからサポートしています。「いつも新しくて、Punkな存在をかんじさせること」をモットーに、初期衝動を与えられるゲームを作り続けています。1990年代には、ファイヤープロレスリングシリーズやトワイライトシンドロームシリーズ、シルバー事件シリーズなど、幅広いゲームジャンルを手掛けています。2000年代に入ると、NO MORE HEROESシリーズでアメリカやイギリスのゲーム紙から、Best Wii game賞やBest Game Character賞などを受賞し、世界にもその才能は認められました。まさに日本を代表するゲームデザイナーです。
洋ゲーの大ファンでもある美大出身の上田文人氏
1993年に大阪芸術大学芸術学部美術学科を卒業した上田文人氏は、孤高のゲームデザイナー兼アートディレクターです。在学中に独学でCGを習得するなど、当時からそのセンスの高さは際立っており、新卒で就職した株式会社ワープの当時の社長も、上田氏の鋭いアートセンスを見込んで採用したと語っているほどです。その後、ソニーコンピューターエンターテイメントに転職し、世界でも絶賛された「ICO」と「ワンダと巨像」のキャラクターデザインおよびゲームコンセプトを担当します。一つの会社に留まる働き方を好まない上田氏は、2007年より開発された「人喰いの大鷲トリコ」はフリーランス契約を結んで貢献し続け、2014年に自身の会社「ジェンデザイン」を立ち上げます。2016年にゲームがリリースされた後は、アメリカのゲーム会社Epic Gamesとともに新規タイトルを開発中で、2020年にリリース予定となっています。